身も心も醜悪な生き物がいたとしたら、それはどのように生きるのがマシなのだろうか。
何もかもを諦めるか、狂うか、早めに自殺するかの3択。
さらにこれはあくまでマシという観点。その哀れな生き物に最適解の生き方があるとしたら、それは前提から間違っている、身体も心も醜いのならば生きていることこそが苦痛になるから。
どちらか一方がまだましなレベルならば溶け込める、人間の営みに、社会に、普通の恩恵に与れる。だが両方が醜ければもうおしまい。お前がこの世を嫌うのと同じように、この世もお前が来るところじゃない、ってさ。
性格のねじ曲がった人間には誰も近寄りません。誰も仲良くしたがりません。誰にも好かれません。誰にも愛されません。どこにも居場所はありません。
そこに身体の醜さが加わったら…さあもう地獄の始まりだ。自分ですら自分を直視できない、見たくも触りたくもない。他の人間全てが敵になっても、自分を無視しても、見下してきても、自分が自分の味方でいられるのならばまだ大丈夫。でも、もしその自分が本能レベルで拒否反応を示してしまうほど醜かったら…あーあ。
要は皆敵なのだ、羨ましくて憎たらしい敵なのだ。性格の悪さが他人を敵と認識してしまう。醜い自分を大切にできるわけが無い、自己嫌悪で自ら人生を台無しにしてしまうから周りの人間が羨ましくて仕方なく思える。他人も自分も全てが敵。
自分というものを少しでも意識してしまえば、己の醜悪さに耐えきれなくなる。さっきまであれだけ軽かった心がずしんと重くなる。身の程知らずにも浮かれ上がっていた自分が憎たらしくて、抱いた希望なんて地面にたたきつけてやりたくなる。
容姿が醜いということは単なるディスアドバンテージだ。これに心の醜さが加わると、それはもう人を地面に留めおく大きな足枷になる、足枷?そんなかわいいもんじゃない、重力だ。まともに進むことすらかなわない、まともに顔を上げることすら、見えるのは地面だけ。涙でドロぐちゃになった地面、自己嫌悪という名の重力、倒れ込むしかない、益々醜くなるね、ああ滑稽だ。
私だって好きでこんな風になっている訳じゃない。
もし容姿が今よりもっともっとまともなら、できるだけ人の不愉快にならないようなお洒落をして外に出る。きっと今ほど他人にも視線にも怯えずにも済むのに。もし性格が今よりずっとずっとまともなら、好きな人に言い訳や回りくどいことを言わずに好きだと伝えたり、罪悪感なく思い切り抱きついたり甘えたり手をつないだりできるのに。
無い物ねだりのオンパレード。
自分の容姿のせいで制限だらけ。自分の性格のせいで制限だらけ。
自分のことは心の底から大嫌い。だから自力で幸せなんて掴む気力もあるのかないのか、分からなくなる時がある。この世の誰も私を愛してなんてくれない。それどころか見下していい気分になったり軽く扱えて楽だったり、そういう存在。
無価値だから他人に媚びへつらってへーコラして、当然のようにこんな性格の悪い方法じゃあ私を大切に思ってくれる人なんていない。それでも誰かに認めてもらいたい希望を、何度打ち捨てようがバカみたいにかき集めてまた期待して媚びへつらって下手に出て、結局同じことの繰り返し、そんな自分が益々嫌いになって。
せめてまともな社会人になるまでは生きよう、真っ当にやろう。じゃなきゃ、なんかもうあまりにも惨め。そうしたらもういい、どうでもいい、本当に誰でもいいから私のことを見放さないで認めてくれて、もっと言えばずっと一緒にいてくれる人なんていないって諦めつくはず。これですら強欲なのに性格の悪い私はそれでも誰でもいいが誰でもよくなくて自ら地獄に落ちる
寝れない
何もかもを諦めるか、狂うか、早めに自殺するかの3択。
さらにこれはあくまでマシという観点。その哀れな生き物に最適解の生き方があるとしたら、それは前提から間違っている、身体も心も醜いのならば生きていることこそが苦痛になるから。
どちらか一方がまだましなレベルならば溶け込める、人間の営みに、社会に、普通の恩恵に与れる。だが両方が醜ければもうおしまい。お前がこの世を嫌うのと同じように、この世もお前が来るところじゃない、ってさ。
性格のねじ曲がった人間には誰も近寄りません。誰も仲良くしたがりません。誰にも好かれません。誰にも愛されません。どこにも居場所はありません。
そこに身体の醜さが加わったら…さあもう地獄の始まりだ。自分ですら自分を直視できない、見たくも触りたくもない。他の人間全てが敵になっても、自分を無視しても、見下してきても、自分が自分の味方でいられるのならばまだ大丈夫。でも、もしその自分が本能レベルで拒否反応を示してしまうほど醜かったら…あーあ。
要は皆敵なのだ、羨ましくて憎たらしい敵なのだ。性格の悪さが他人を敵と認識してしまう。醜い自分を大切にできるわけが無い、自己嫌悪で自ら人生を台無しにしてしまうから周りの人間が羨ましくて仕方なく思える。他人も自分も全てが敵。
自分というものを少しでも意識してしまえば、己の醜悪さに耐えきれなくなる。さっきまであれだけ軽かった心がずしんと重くなる。身の程知らずにも浮かれ上がっていた自分が憎たらしくて、抱いた希望なんて地面にたたきつけてやりたくなる。
容姿が醜いということは単なるディスアドバンテージだ。これに心の醜さが加わると、それはもう人を地面に留めおく大きな足枷になる、足枷?そんなかわいいもんじゃない、重力だ。まともに進むことすらかなわない、まともに顔を上げることすら、見えるのは地面だけ。涙でドロぐちゃになった地面、自己嫌悪という名の重力、倒れ込むしかない、益々醜くなるね、ああ滑稽だ。
私だって好きでこんな風になっている訳じゃない。
もし容姿が今よりもっともっとまともなら、できるだけ人の不愉快にならないようなお洒落をして外に出る。きっと今ほど他人にも視線にも怯えずにも済むのに。もし性格が今よりずっとずっとまともなら、好きな人に言い訳や回りくどいことを言わずに好きだと伝えたり、罪悪感なく思い切り抱きついたり甘えたり手をつないだりできるのに。
無い物ねだりのオンパレード。
自分の容姿のせいで制限だらけ。自分の性格のせいで制限だらけ。
自分のことは心の底から大嫌い。だから自力で幸せなんて掴む気力もあるのかないのか、分からなくなる時がある。この世の誰も私を愛してなんてくれない。それどころか見下していい気分になったり軽く扱えて楽だったり、そういう存在。
無価値だから他人に媚びへつらってへーコラして、当然のようにこんな性格の悪い方法じゃあ私を大切に思ってくれる人なんていない。それでも誰かに認めてもらいたい希望を、何度打ち捨てようがバカみたいにかき集めてまた期待して媚びへつらって下手に出て、結局同じことの繰り返し、そんな自分が益々嫌いになって。
せめてまともな社会人になるまでは生きよう、真っ当にやろう。じゃなきゃ、なんかもうあまりにも惨め。そうしたらもういい、どうでもいい、本当に誰でもいいから私のことを見放さないで認めてくれて、もっと言えばずっと一緒にいてくれる人なんていないって諦めつくはず。これですら強欲なのに性格の悪い私はそれでも誰でもいいが誰でもよくなくて自ら地獄に落ちる
寝れない
コメント
コメント一覧 (2)
お元気そうでなによりです、ブログ主さん書き方きついですけど、器用で料理も美味しそうなので きっと素敵な相手が見つかると思いますよ 引き合いは依然として強いと思います。
元気だしてください
mok_pyrite
が
しました